ドーハの悲劇について語りたい
僕はサッカー日本代表を応援していますが、
その中でも、今日はドーハの悲劇について語りたいと思います。
ドーハの悲劇は1993年10月28日の出来事でした。今から25年前今日の出来事
なんですね。
時が経つのは早いなあと思います。
当時の記憶としては、Jリーグ開幕時でサッカーが
とても流行していたと思います。
メンバーが日本代表となっていました。
ドーハの悲劇とは、
ドーハの悲劇は、1993年10月28日、カタールの首都・ドーハのアルアリ・スタジアムで行われたサッカーの国際試合、日本代表対イラク代表戦の日本における通称である。
1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の最終節で行われたこの試合は、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、FIFAワールドカップ初出場に近づいていた日本代表が一転して予選敗退する結末となった。
当時のアメリカワールドカップの出場国はたった24ヵ国しかなかった為、
アジアの枠はたった2か国で非常に難しかったと思います。
フランスワールドカップからは32ヵ国で、日本が第三代表に入って
やっと出場できたことを覚えています。
今は日本代表がワールドカップに出られることは当たり前のように
なっていますが、出場国の数も増えている為、
出られるようになった点もあると思います。
当時は日本のサッカー技術はアジアの他の国(韓国など)に
比べて遅れていた点もあったかもしれません。
アジア最終予選を突破するのはなかなか厳しい状況でした。
今でも当時の映像はTVなどでよく見ることができますが、
見るたびに、茫然とする選手・泣き崩れる選手など
悲しくなってしまうものがあります。
当時の映像でも、後半の最後の方のプレーは、日本選手の疲労も
かなり見えて厳しい戦いだったことがわかります。
日本にもマリーシアのような賢いプレーができる選手がいれば
1点を守りきれたかもしれません。
しかし、このような出来事がロシアワールドカップでの
ポーランド戦の戦術にも生きたのかもしれないと思います。
サッカー日本代表の歴史も変わっていたかもしれません。
起こした選手がワールドカップに出場するのを
見たかったですね。
実際に出場できたとしても、3戦全敗ボロ負けでも
いいので見たかった。
代表監督というのも時代を感じます。
最近の日本代表は若い選手の中島・堂安・南などの
選手がキレキレの動きで魅力的なサッカーをしています。
1月にアジアカップが開催されるので、森保ジャパンを
みんなで応援しましよう!